20代の頃の入院生活で・・・  2005年11月15日(火) 00:19 

 20代のころ検査入院で大学病院に入院させられた。

 させられたというのは町医者に通院していたのですが痛みが激しくて痛み止めをうちながら仕事を続けていた。激痛だったけど仕事が休めず仕方なくの処置。痛みがひどいのをわかっていらっしゃる先生は診療時間外でも自宅から駆けつけてくれたほどで本当にお世話になっていました。

 その痛み止めが1ヶ月ほど続けている間に1本で効かなくなり、1日に2本・・・・後でこの薬のことを知りおどろいたのですが麻薬の一歩手前のようなものだったらしく・・・

 大学病院では薬物中毒扱い(>_<)・・・町の先生は心配になって自分がいた大学病院に私を紹介してくれたようです。これ以上このお薬は使えないと判断してのことでした。看護婦さんも先生もあの注射はもう使えないからていわれるし、痛みがあったらこれをと座薬をくれた。

 私は座薬がいやで痛みに耐えた。訳がわからない私はどうしてあの痛み止め使ってくれないのだろう?って思っていて先生に逆らっていた。医者に対して不信感を持ってしまってた。こんなに痛いのに・・・(検査の結果慢性膵炎でした。)

 検査、検査でもう受けたくないとだだをこね困らせ、周りにいる入院患者の人達に慰められ受けることに・・・扱いにくい患者だっただろうな?

 主治医の先生は二人でベテランの先生と新米先生。私はこの新米先生にとてもお世話になった。真心ある素敵な先生でした。医者というより兄のような感じで変な意味ではなく、身内のように患者に接してくれる先生ってことですよ〜(^-^) 時に優しく、時に厳しく・・・心のある先生。

 入院生活も長くなると仲良くなるお友達ができて、向かいの個室の付き添いのおばさまとも談話室で何度か会ううちに仲良くなった。

 陽気なおばさまで話していると楽しかったのですが、時々ふっと寂しそうな顔をされるのでとても気になっていた。ある時おばさまがぽつぽつ話しだした。

「あの人はね、もう助からないの。でもね身内が誰も来てくれない。冷たいものね。」と寂しそうに・・・「私は妻ではないの。でも最後を看取ってあげたくてお世話しているの。あの人がかわいそうで」・・・と

 その頃まだ若かったのでなんと答えていいのかわからなかった。でもこのおばさまとおじさまを元気づけたいと思い。なにが出来るんだろうか?っと考え、千羽鶴を折りだした。

 消えちゃったので続きはまた明日・・・

 昨日はメンテナンスの時間にかかってしまい送信できなくて消えてしまったのでした(>_<)見やすくなってうれしいなぁ〜v(=∩_∩=)

 では、昨日の続きを・・・・読み返すとあらあら、これでは町の先生が悪いみたいに思えるかも?とてもお世話になったのに大変って事でちょっと訂正(・_*)\ペチ

 千羽鶴と決めたものの一人で折るのにはとても時間が掛かる。ひたすら折り続けていた。そんな私を見て「何を作ってるの?」って患者仲間が・・・・・「千羽鶴」 「誰に?」 「向かいの病室のおじさまに・・・」「じゃあ私も作る」ってことになり同じ病室の仲間が二人手伝ってくれた。

 毎日3人で鶴を折っていたら別の部屋の患者さんも誰かに聞いて手伝わせて欲しいっという有り難い言葉でまた二人。一人はとても重い病気のようなのにどうしても手伝いたいと言ってくれて5人集まりました。それぞれが自分のベッドの上で黙々と鶴を折った。お陰で随分早く千羽の鶴ができた。

みんなでおじさまの部屋に持っていくことに・・・

「みんなで作りました。受け取ってください。」おばさまが受け取りおじさまの手に・・・・・おじさまはだまって千羽鶴を見つめて涙ぐんでいらっしゃった。おばさまは泣きながら「ありがとう。ありがとう。」っと・・・・・

 胸がつまって言葉にならなかった。 いや、言葉はいらなかった・・・・・心でみんな繋がっていた。部屋を出た私達は手を握りながら・・「よかったね。よかったね。」っと泣いた。

 翌日・・・ 「あの人がね。とても喜んでいた。あまり感情を出さないあの人が泣いていた。ありがとう。本当にありがとう。」とおばさまは目に涙をいっぱいにしてお礼を言って下さった。

数日後・・・おじさまは他界された。

そして数日後・・・一緒に鶴を折ってくれた彼女も他界した。




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