あの事故からまる2年。。。  2006年07月07日(金) 23:11 

 今日は、七夕です。一昨年の事故があるまでは、私にとっては、晴れますようにと願う日だった。夜空を見あげて、一年に一度のイベント。。。織り姫さまと彦星様!今年は、会えるかしらと。。。(*^^*ゞ(*^^*ゞ(*^^*ゞ

 一昨年の宮古への旅行中のこと、泊まっていた民宿のバイトをしている彼女が明日本土に帰るということで、みんなで大神に行こうということになり、いつもは、私が運転しているんですが、その日は一緒に乗っていってくださいと誘って頂き乗せて貰うことに。。。

 お昼ご飯を食べてから、1時の船で大神に行く予定で食事に出かけた。その道での事故。。。私達家族は、後ろに乗っていて、十字路で横から来た車にぶつけられた。車は、3回転ほどして、後ろに座っていた私達家族ともう一人の女の子は外へ投げ出された。車は廃車。かなりの事故で、新聞、テレビにも出たぐらい。

 他の人達は、すりきず、打撲で入院するまでではなかったが、主人は身体中傷だらけ、子供は口を切り手術、そして鼻が曲がってしまった。今はまだ成長期で手術は出来ないんで大人になってから手術を受けなければいけない。そして、私は、後頭部打撲、ソフトボールぐらいに頭が腫れ、左肩はあがらず、完治するまでに半年から1年かかると言われた。右耳は耳石が動き、めまいとはきけ。

 外に投げ出され、気が付いて起きあがろうとしたが、身体が動かない。その時乗っていた車が動き出し、私はその下に挟まってしまったのだ。両足で車を持ち上げて内臓が圧迫しないように必死だった。こんなにひどい事故だったのに、病院の先生は、「これだけの怪我ですんだのは、奇跡ですね」と4人の先生が口を揃えておっしゃっていた。

 私は、痛みが凄かったので「何が奇跡よ〜!こんなに痛いのに。。。ムカ・・・(-_-メ)>」心の中で思っていたのですが、後になって考えたら本当にこれだけの事故ですんだのは、本当に奇跡だったんだと思えた。子供と私は、そのまま入院。

 今思えば、この事故から私達の神ダーリが始まったのです。日常のことが出来ないのです。左手が使えない。当たり前の生活が出来ない上に、運転していた彼女は事故の2日後に本土に帰って戻ってこなかった。保険会社とのやりとりは、悲惨なものだった。被害者である私達がどうしてこんな思いをしなくてはならないのか?
 あの時期は、人間不信になりそうだった(>_<)これまでの人生の中で一番辛い時期であったと思う。病院に通うのも止めて、少しずつヨーガをしながら左肩を治した。色々あったなぁ〜 でも、そのお陰で神様と繋がることが出来た。

 その事故から後も同じ場所で2回も事故が起きている。きっと、ここはウタキのあった場所だったんだと感じていた。私達が事故を起こしたのは、この場所がどういう場所だったか知ってほしかったんだ。そう思えたので、事故後お清めをして、毎年7月7日には、お祈りに行くことにしている。

☆この続きは、また後ほど。。。





 前の日記へ  日記インデックスへ  次の日記へ










inserted by FC2 system